長崎古賀人形

osamuharada2010-10-05

たまに見てしまうNHKデタラメ『龍馬伝』。現在は長崎「亀山社中」と「グラバー邸」のところで盛り上がっているみたいだ。ここぞと福山クンの地元でもある「長崎」は、龍馬観光でひと儲けと張り切っている。お次は「海援隊」の出番だね。
ドラマのほうは、登場する若いテレビタレントたちの台詞が、怒鳴り声のようで聴きづらい。声高で口々に「ニッポンは!」と、まるで愛国心に燃えた戦前の軍隊のようだけれど、江戸時代のサムライたちにとっての国家とは、それぞれが属する【藩】のことなので、統一国家としての【日本】という概念はまだ無いはず。あったとすれば≪ 横井小楠くらいだろう ≫と、かの三田村鳶魚は書いている。(島崎藤村『夜明け前』を批判する『時代小説評判記』の文中にて)  もし龍馬が【日本】という概念を持っていたとすれば、それは横井小楠からの受け売りでしょう。小説にしか出てこない龍馬の「船中八策」も、幕府の政事総裁職についた福井藩主・松平春嶽に請われて相談役になった、熊本の横井小楠がつくったマニフェストなのですよ。土佐を脱藩した龍馬は、フリーランスの浪人中ではなく、ちゃんと福井藩からサラリーを受け取っていたという証拠があるのに、小説家は完全に無視しているね。龍馬のクライアントが、実は江戸幕府の総理大臣じゃあ、売文業作家のアタマでは混乱しちゃうだろ。
アラ探しをしたらキリが無いので、可愛い長崎の話。江戸時代に長崎街道が発達すると、古賀村という所で郷土人形が作られて、長崎土産として大層評判になったそうです。その「古賀人形」には、開港していた長崎らしく、西洋人や中国人をかたどった異国趣味の人形もあります。むかしぼくの長崎を旅したおりに、古賀人形を土産にヤマほど買って、人にあげてしまったことがある。手元に残ったのは、唐人が鶏を抱く「アチャさん」人形と、犬の「狆」、それに写真の「馬乗猿」でした。
なかでも気に入っているのがこの馬と猿で、身辺にいつも置いてあります。しかし考えてみたら、このキャラクターは長崎の南蛮趣味らしくはないな。どうやらこれは、長崎街道をあずかっていた馬喰(ばくろう)のシンボルらしい。だとすると五世紀に馬とともに日本列島に渡ってきた騎馬民族の末裔なのでしょう。遙かなる中近東のアラブにつながり、シルクロードを経由してやって来た人々。猿のほうは、もしかしたら日本原住民系のシンボルかな。猿は縄文時代土偶にもありますよ。大むかしの日本列島、同じモンゴロイド人種たちは、互いに助けあって仲良く暮らしていたのでしょう。と勝手に解釈して、この古賀人形「馬乗猿」を愛玩しています。