バルタンとアズナブール

osamuharada2010-09-07

古いレコード盤、The Plattersのことを書いたブログを読んで、当のガールフレンド、ピョンコさんよりメールあり。 【 ほんとによい時代を、お洒落に過ごせた私達に、かんぱーい!!!】と懐かしんだあまり、いささか脳天気に喜んでくれていました。ついでに、あの頃に一番好きだった歌手は誰?と聞いてみたら、シャルル・アズナブール、とすぐ返事がかえってきた。今でも大好きで、2007年の日本コンサートでもオッカケをしていましたよ。アズナブールが八十三歳のステージでしたね。
そもそも彼女がシャンソン歌手アズナブールにハマっちゃったのは、高校時代、ぼくが貸してあげたアズナブールのLP盤がきっかけだったのだそうだ。映画『アイドルを探せ』を観た後で、ぼくはシャルル・アズナブールシルヴィ・バルタンの熱烈ファンとなり、両者のレコードを持っていたのでした。バルタンのヒット曲となった、La plus belle pour aller danser「アイドルを探せ」は、アズナブールの作なのです。 その頃は、ぼくのフランスかぶれが始まった頃でもありました。ヌーベルバーグから、他愛のない青春映画にいたるまで、何でもかんでもフランスのほうがカッコイイぜ!と思ってた頃なんだな。 ’60年代初頭には、アメリカ文化は、もう野暮ったく見えてきていたのですね。英国からは英国らしいビートルズも出てきた頃なのでした。バルタンは1964年に、パリのオランピア劇場で、ビートルズと共演!しているのですよ。
1963年の映画『アイドルを探せ』は、今ならミュージックビデオのコンピレーションのような音楽映画で、ストーリーはオマケのようで単純そのもの。「キネマ旬報」などとはまったく無縁の青春映画なのでした。シャルル・アズナブールは、すでにフランソワ・トリュフォー監督『ピアニストを撃て』主演で観ていたけれど、バルタンはこの映画で初めて知った。ぼくにはフランスかぶれで観た映画だったが、この映画は、音楽的にはアメリカかぶれのフランス映画なのでした。フランスのプレスリーと言われた、ジョニー・アリディも出演している。(バルタンと結婚して後に離婚した)最近は、渋い俳優として映画にも出ていますよね。
1944年生まれのシルビー・バルタン、五〇歳の時に歌ったCDが気にいっています。(上の写真) アコースティックなサウンドで歌う、VARTAN SESSIONS ACOUSTIQUES(すでに廃盤)の「アイドルを探せ」は、遥か遠く、むかしを偲ぶ風情があって、オールドファンとしてはたまらない。日本でいうなら、京の地唄で、〖 花も雪も はらえば清きたもとかな ほんにむかしの昔のことよ わが待つ人も われを待ちけん 〗という感じがしてくるなァ。
この画像は、映画『アイドルを探せ』。 ちょいと拝借。

エンディングタイトルは、アズナブールが歌うEt pourtant。