古いレコード盤

osamuharada2010-08-04

もう半世紀も前の、1962年頃のボサ・ノヴァを聴いていたら、当時の高校生時代をゆくりなく思い出した。あの頃は、同期生の誰かの家で、ダンスパーティーを開催するのが、ちょっとした流行になっていたのです。さすがにボサ・ノヴァは踊りにくかったけれど、若者には TWIST というダンスがブームでしたよ。もっぱらみんなで腰をひねって踊っていたのでした。ようするに何でもかんでもアメリカかぶれだったわけね。ネクタイをして、ガールフレンドをエスコートして、よくパーティーにお出かけしました。半世紀も昔のことだから、思い出したって今さら恥ずかしくもなんともない。むしろ可愛らしき十代の記憶としてのみ残っているもんなのですね。つくづく、いい時代だったよなあ、なんてね。
そしてツイストを踊った後に、ちょっと大人になったつもりの男女二人で踊るダンス(何故かBoxと呼んでいた)には、たいがいアメリカのスタンダード曲がかかった。明りを落として、ムードが盛り上がったところで、必ず出てくる定番曲が The Platters のナンバーだった。あまりにその頃のダンスパーティーが楽しかったせいか、ぼくはプラターズにもすっかりハマってしまって、高一のとき初めて買ったLP盤のレコードがこれ(写真の)でした。それ以前は45回転のドーナツ盤ばかり。物持ちはいいほうじゃないのに、よくまあこれが残っていたもんですな。
ジャケット裏の曲名が記してあるところを見たら、特に好きだった曲に赤丸の印がつけてあった。今に残るこのクセは、半世紀も前から始まっていたことが判明して、笑えた。 何でもすぐに書き込んじゃうというクセ。その印をつけたプラターズの曲名は“ Remember When “と“ The Magic Touch ”でした。あんまりヒットしなかった曲。高校生にしては、渋い好みだったな。
1973年の映画『アメリカン・グラフィティ』は、監督ジョージ・ルーカスの青春時代を描いているけれど、あれがまさに1962年の夏のことなのでした。高校の卒業パーティーで、クライマックスに男女が踊る曲がプラターズのナンバーでした。昔あの映画を見たときに、オーッ! アメリカの田舎の高校生と、同じころに、ぼくらはそっくり同じことをしていたんだ、と驚いたものです。なにしろ、当時の日本の若者の間での大ヒットは、舟木一夫の歌謡曲「高校三年生」なのですよ。
1963年のケネディ大統領暗殺から、アメリカという国家は狂いだして、1964年の東京オリンピックから、日本は金儲けばかりの経済大国へとまっしぐらに進んでいったのですね。だから1962年は、まだどこかノンビリとした時代だったのでしょう。
Remember when I first met you  My lips were so afraid to say “ I love you ”?