ザジとクライン

osamuharada2010-03-21

芸術新潮今月号では、50年前の映画「地下鉄のザジ」と、8年前に出たウィリアム・クラインの写真集「PARIS+KLEIN」について書いています。レイモン・クノーの奇妙な小説「地下鉄のザジ」の脚本を手がけて映画化をしようと思いついたのが、アメリカの写真家クラインなのでした。前からクラインの実験的映画に興味を持っていたフランスの映画監督ルイ・マルに声をかけられ、実際には二人の共同製作という感じでこの映画「地下鉄のザジ」は作られたはずなのです。しかしできあがってみると、クラインの名は美術監修という意味不明のタイトルでのみクレジットされてしまった。なんだか変でしょ。一体何があったのだろうか? このナゾを解くカギがこの写真集なのである。と、コラムではこの50年も前の謎解きに、今さらだけど挑戦してみたワケよ。ワレながらずいぶんヒマだね。
美術好きのヤツガレとしては、映画を観るときでも、ついヴィジュアルを最優先してしまう変なクセがある。まず映像のコンポジションフレーミングが一番気になるところ。 映像も、写真や絵画と同等のものとして鑑賞するタイプなんです。 何度見ても好きな映画というものは、一度観れば判っちゃうストーリーや文学性よりも、視覚的印象のほうがずっと強いもんだなァと思うね。俳優の名演技も撮り方次第で変わってみえる。美人女優も美術考証もカメラに美しくおさまるかどうか、映像センスひとつでゼンゼン違う。 結局、脳裏に焼きついた好きな映画は、映像の好悪にかかってくるものでしょうね。ぼくにはウィリアム・クラインの、元気のよい映像が続出する「地下鉄のザジ」は、好きな美術の一つなのでした。
前に書いたザジ ● [id:osamuharada:20050415] ● [id:osamuharada:20050619]

William Klein: Paris + Klein

William Klein: Paris + Klein