沖縄の博物館・美術館

osamuharada2009-10-01

昨日まで三日間、【沖縄県立芸術大学】に美術の講義を頼まれて、絵画専攻クラスへと通った。夜は連日、泡盛など飲みながら皆で芸術談義に熱中して楽しかったが、とにかく熱帯夜で暑いッ!のなんの。こっちでは当たり前のように真夏日が続いているのです。まだまだ夏は終わんないのかよと言ってみたら、古くからの親友で沖縄生まれの宮城明教授は、いやこれでも、もう秋サーと涼しい顔。さすが土地の人、ウチナーンチュは慣れたもんですな。七、八月の真夏はこんなもんじゃないヨー、湿度だって90%はあるサーとのこと。以前真夏にリゾート気分で来た時には、ぜんぜん暑さが苦じゃなかったのになァ。
今日からフリーになったので、まずは【沖縄県立博物館・美術館】へ。一昨年にできたばかりの巨大な建築は、グスク(沖縄の城)をイメージしたらしい。琉球石灰岩を模したベージュ色が美しい。美術館のほうには、画家である宮城教授の巨大な抽象作品が、入り口の吹き抜けの壁にドーンと展示されていて感動した。沖縄の現代美術であるからには、沖縄の過去と現在をふまえて重々しいが、この建物のある地は、沖縄戦中、日米間最大の激戦地区の跡だそうで、まさにこの場にふさわしき問題作品だと思った。
博物館では、ぼくの予想どおり、沖縄の縄文文化鎌倉時代まで続いていた、とわかる証拠品があちこちに見てとれたので興味深かった。沖縄には本土と違って、稲作文化と権力支配の弥生時代はなかった。政治的な分類の古墳時代、奈良・平安の時代もなくて、ほとんど古代日本の平和な縄文時代のままが、12世紀に至るまで!続いていたはずなのですよ。もっとも博物館側はそれを断定も否定もしない曖昧な文脈で展示をしていたけれど。 その後にできた琉球王朝とは、明(中国)の傀儡政権だったことが一目瞭然であるにもかかわらず、この件も博物館はアイマイだ。明の勢力が衰えた17世紀、封建的な江戸時代になると、沖縄は薩摩藩に征服されて植民地になった。しかし12世紀までは、沖縄人と本土の人とは同じ民族、同じDNAを共有していたはずなのになァ。薩摩イモだって古くは沖縄から伝わった。 発掘されたモノは真実を語っているのに、いつの時代でも現体制側の人間は、都合の悪いことには目をつぶる。 今も米国のミリタリー・コロニー・オキナワであることへの憤懣が、かえって歴史認識を歪ませているのではないか?などなど、今度は芸術談義じゃなくて、歴史談義がはじまりそうです。ともあれ、一つで二つ楽しませてくれる沖縄博物館・美術館は、実に面白い場所だ。