新橋小川軒のオレンジゼリー

osamuharada2009-05-07

古い銀座を描いた二人の画家、劉生と荘八について、来月の芸術新潮に書こうと思い、現在の銀座八丁を往復してブラブラ歩いてみた。 
江戸時代は、京橋寄りに貨幣鋳造所の銀座があったので通称「銀座」と呼ばれた場所だが、それは四丁目あたりまで。今の5丁目から8丁目にかけては、江戸でもかなり場末の町に過ぎなかったという。なるほど最近は安売り洋服屋で賑わっている。昭和三十年の木村荘八の挿絵(芸新に掲載する予定)によると、戦後8丁目にはパチンコ屋が多くできたそうだ。幾たびか近代化しても、結局は元の場末に戻るのか、ヤレヤレ。  明治五年、100%外資による鉄道が横浜から新橋まで敷かれると、おつぎは新橋駅(今の汐留にあった)から京橋、日本橋へとつなぐ道路整備のために開発されたのが銀座八丁のレンガ街。日本初の車道(馬車だけど)と歩道が分離したレンガ道路。同じく耐火煉瓦造りの長屋のような西欧風建物が両側に並んだ。(岸田劉生はその2丁目で生まれ育っている) 鎖国がとかれて、続々と入ってくる外国人達のためにだけ造られた街、としか思えない明治の銀座レンガ街。銀座という町の出自をたずねると、明治維新とは名ばかりの、西欧列強による日本植民地化という真実が浮かび上がってくるよなア。などなどと考えながら歩き疲れて、いつもの新橋小川軒カフェでひと休み。
この季節は、香りも高い清見オレンジのゼリーが最高に旨いですよ。熱いヴェルガモット・ティーがまたよく合う。新橋小川軒は明治38年創業。レストランは代官山に戦後移転して、お菓子屋とカフェだけが新橋駅西口前に残っています。カフェで以前おなじみだった年輩の支配人さんが、代官山から一年ぶりに戻られたので、ぼくにはすこぶる居心地よいカフェに、再び戻ってくれたようなわけです。裏の店舗で販売しているオレンジゼリーは、真ん中に甘いクリームが入ってるので、ぼくにはバツです。カフェのオレンジゼリーはすぐ売り切れになるけれど、シンプルで新鮮なオレンジゼリーは、ここのカフェでしか味わえません。ただ店を一歩出ると、まったくひどい場末の新橋駅界隈なので、それが俺にぁツライんだぜ。  前に書いた「小川軒のグループフルーツゼリー」のほうは(id:osamuharada:20070816)です。