宮田重雄アトリエにて

osamuharada2008-11-29

宮田重雄先生の旧アトリエを、いよいよ取り壊すことになった、と後継者でお孫さんの佳子ちゃんから知らせを受けた。処分する前にもし挿絵の原画があったら見せて欲しいと頼んで、久しぶりに吉祥寺のアトリエで捜索開始。佳子ちゃんは英国に住んでいるので、ながらく無人だった木造アトリエは老朽化がすすんでいた。油彩画の置いてある倉庫には挿絵原画は数点しか残っていない。ちょっとガッカリしたが、ふと脇の廊下の隅を見ると、埃をかぶって古い箱や紙類が重ねて置いてあるところがあり、ここがどうも怪しいぞと直感、調べてみた。挿絵の返却原画は、たいてい新聞社か出版社の紙袋に入っているはず。山積みでホコリまみれの中から、ついに挿絵の入った紙袋を数個発見! 嬉しかったな。新聞小説のための挿絵原画と下絵、すごいぞ全部で1000枚くらいあるだろうか。小説とエッセイの原作者は、やはり獅子文六が大半で、他に源氏鶏太安藤鶴夫。開けてみると、半世紀も前の、和紙に描いた墨痕鮮やかな原画が束になって出てきました。これにはゾクゾクするほど興奮した。この挿絵は来年二月にパレットクラブで、展覧会をすることに決めました。これから整理をして、また改めてお知らせいたしますね。
大発見の興奮をしずめながら、宮田重雄先生と奥様と娘の洋子さんの遺影にお線香をあげさせていただきました。居間で紅茶をいただき雑談をしていたら、今度は古い棚の奥、宮田先生遺愛の品々がある中に、上の水差しと壷を発見。埃と煙草のヤニでマッ茶色だったけれど、しかし一目でいいなァとつぶやいたら、佳子ちゃんが良かったら貰ってあげてください、好きな人に持っててもらえたらお祖父さんがきっと喜ぶから、と言ってくれたのでした。胸がいっぱいで嬉しくて、しかし遠慮していたら、佳子ちゃんの英国人の旦那さんが、二つの大きな陶器をパッキングして、帰りぎわに持たせてくれました。で、さらに興奮して帰路についたようなわけで。 後で水洗いしたら、たちまち鮮やかな色彩がよみがえりました。水差しはスペインのグラナダあたりの古いお土産品かな。左の壷は中に栓が落ちていたのでワインかなにかを入れるものでしょうか、帯の黄色の釉薬中南米っぽいけど、どこのものかは判らない。そしてこの陶器のデザイン、色と柄、すべてが宮田重雄の油彩画や水彩画と同じセンス、同じ感じのするところが、ぼくにはまた一つの美術的発見なのでした。
前に書いた[宮田重雄の絵皿」 [id:osamuharada:20080105]