インターナショナル・クライン・ブルー

osamuharada2008-10-31

十一月号の芸術新潮に、今回はフランスの現代美術家イヴ・クラインを一躍有名にした「青」について書きました。青の平面作品がクラインのなかでは特別に良い。その他の立体作品やインスタレーション(当時はイベントと言っていた)は、ほとんどが今ではアホらしいというようなコトを、芸新読者向きに書いてあります。(面白いので読んでくださいね)  →これは余談。クラインは1962年に、34歳で突然死んでしまいましたが、調べるとどうも変です。普通のバイオグラフィーって、死んだ年月日はあるけれど、時間までは記載されないもんでしょ。ところがクラインに関してはそれがある。わざわざ【6月6日6時】とね。 クラインの芸術観には、現代美術のヤヤコシイ概念ではなく、古い秘密結社の薔薇十字団(クラインは若くして入団していた)の、カバラやオカルト的な教義がもとになっているという解釈もあります。去年パリのポンピドー美術館での大回顧展の時には、そっちのほうの研究もすすんでいたようです。(日本の美術関係者には想像もつかないよね) クラインは、自らのイベントの映像が出ている、ヤコペッティの映画『世界残酷物語』公開の日に、最初の心臓発作を起こし、その一ヵ月後に三度目の心臓発作で死んでいます。結婚して子供も生まれたばかりでした。ただ奇妙な結婚式は新たに入団した別の結社で行われ、堂々と公表までしている。ね、謎めいた男でしょ。クラインは芸術家になる前は柔道家で、日本にも来ていて講道館の黒帯ですよ。あまりにヘンな芸術家なので、ぼくはかえって惹かれてしまうのでした。
この写真は、1982年ニューヨークのグッゲンハイム美術館での大回顧展。フランク・ロイド・ライト設計のこの美術館は、螺旋状にグルりと下降しながら壁の絵を観なくちゃならないので不評ですが、巨大な吹き抜け空間の一階の床に、ドーンとこんな風にクライン・ブルーを敷き詰めた、この展示は素晴らしかった。  かつてイヴ・クラインはこう言っていた「画材屋で見つけた粉末顔料を、タブローとして展示しながら、自由な状態にしておくためには、まったく単純にそれを地面にひろげておきさえすればいい」と。しかし実際のクライン作品は地面に敷いたことはなく、キャンバスに青絵具をアクリル樹脂で定着して、ギャラリーの壁にかけただけですから、この地面のアイデアを巨大なグッゲンハイム美術館でやった学芸員だか研究家は、思い切りがよくってカッコイイな。(日本の美術関係者にはこんな根性無いよね)
イヴ・クラインアーカイブズ http://www.yveskleinarchives.org/