劉生のブックデザイン

osamuharada2008-08-26

昨日発売の『芸術新潮』九月号、ぼくの美術コラムでは、岸田劉生の装丁について書いてあります。こないだ、そのための資料を調べるつもりで『劉生繪日記』龍星閣刊を再読したら、面白すぎて止まらなくなり、何のために再読するのか目的を忘れていました。近代日本絵画史上で唯一の「天才」と呼べる、岸田劉生がつけた絵日記だから、美術好きにはタマらない。見方を変えれば、関東大震災の大正十二年以降、京都に移り住んだ劉生が、ますます孤高の人になっていった状況もよくわかる。三十代ですでに「隠世造宝」印、世に隠れて宝を造るという印を作品に押した理由もつくづく納得しちゃうな。 つい興奮して読んだ後で我に帰り、むかし書いた拙著『ぼくの美術帖』の「岸田劉生」の章節も、一応ついでに再読した。26年前に書いた時から、すこしもぼくの劉生に対する評価や、熱い想いに変化がないことを確認しただけ。コレって最近の流行語でいう「ブレが無いッ!」ってやつでしょうか。写真は芸新に掲げた、木下利玄歌集『一路』のための劉生装丁本。その見返し右側の挿絵の一部分で、木版画です。この絵の上には「的ゝ紫房含雨情」の讃あり。  蛇足ながら、皿からこぼれそうな葡萄が右側に一粒だけあるけれど、これがこの絵全体をのびやかに、活き活きさせている構図上の絶妙だと思うんだけれど、どうでしょう?