ティツィアーノの肌色

osamuharada2008-03-11

一昨年はマドリッドからプラド美術館ティツィアーノ「ヴィーナスとオルガン奏者」が日本に来て、今年はついに「ウルビーノのヴィーナス」がやって来た。ティツィアーノの大傑作ですね。拙著「ぼくの美術帖」を読んでくださった方なら、どれくらいワタクシが大喜びしたか、おわかりいただけるはず。おまけに「ヴィーナスとアドニス」や「キューピッド、犬、ウズラを伴うヴィーナス」まで連れて来た。 いまさらイタリア盛期ルネッサンスだの、フィレンツェ派がナンだのベネチア派がカンだのいっても始まらないし、絵の見方も年の功ありてか、ティツィアーノを右脳(感覚脳)でじっくり見ることができましたよ。左脳(言語脳)が余計なジャマをしないで、理屈ぬきで無心に楽しめた。この無意識の集中って、修練を積まないと結構むずかしいモンなんですよ。 さらに困ったことには、ルネッサンスの本場ヨーロッパではなく、日本の照明がヘタクソな美術館で、しかも卑俗な東京上野の街なんかで、絵画鑑賞をするのは、かなりハードなことですよ。よし感動を溜めたまま美術館を出ることができても、外は騒々しき非情の世界。そそくさと帰ろうなどと思い、上野駅からボロっちい地下鉄銀座線に乗り込んだりするのはさらに危険。せっかく右脳が喜んでいるというのに、あたりの不快な人間や空気で、いい気分は雲散霧消させられる。これらに耐える精神力も鍛えておかないと、真に名画を観ることはできないのです。 これを諦めちゃった人は、家に帰ってカタログ読んで、左脳だけを使いながら、生意気な単なるウンチク君に成り下がるだけなのであります。
老巧の名画鑑賞家?としてのコツを一言。実物のティツィアーノを、右脳で観る方法です。いわずと知れたベネチア派の特質である色彩に意識を集中してみてください。とりあえず美女のハダカ鑑賞が済んだ後、まずティツィアーノの描いた肌色のみを無心に見続けることです。油絵具がカンバスに乗っているだけなのに、しかも500年も前に塗られた肌色であるのに、生気溌剌として水分を含んだような瑞々しい何かを感じるでしょう。やがて色そのものに抽象的な生命力を見い出すことができますよ。次はそのまま絵から遠のいて、画面全体の色のコンポジションを眺めること。特にベネチア赤の美しい色面と、その絶妙な配列。無意識の世界は動き出して、快いトリップ状態に突入できます。これは抽象絵画を観る方法とまったく同じなのです。頭から言葉が何も出てこない状態。さればこそ、理屈ぬきの、ティツィアーノの天才にアナタは驚かされることでしょう。是非この方法お試しあれ。
国立西洋美術館ウルビーノのヴィーナス」 5月18日まで。