グルマン獅子文六

osamuharada2008-03-07

高校生の頃に愛読していた獅子文六の痛快なユーモア小説のなかでも、何度も何度も読んだのが「バナナ」という小説。久しぶりに読み返してみると、1960年頃の大人や若者、男女の言葉遣いが活写されているので、あの頃へすぐにタイムスリップができる。高度経済成長が始まりかけた時代なので、全体が健康的で明るい色調を帯びている。なので昨今流行の陰気な昭和レトロの感じはまったく無い。多分これは通俗小説的な面白さに加えて、登場人物(呉天童という台湾人のブルジョワ)が大変な食いしん坊で、リアルな食べ物の話題が続出するせいだと思う。健啖家の文六先生ならではの小説。旨い食い物話はいつも時代を超えてしまうもんですね。 例えば小説のなかで、隠退した老コックはこう話す。《日本の洋食ってやつも、形だけは本格になってきましたが、本格にやればやるほど、マズくなるってえところがあるんです》と言う。わけを聞くと《昔、横浜に浪花屋 ― 俗にインゴー屋という家がありましてな。チョンマゲ結った爺さんが、洋食をやるんですが 》と続く。主人公ならずとも、膝を前に乗り出したくなるでしょ。ビフテキの話になると《爺さん、第一、肉を見る眼が肥えてるんです。気に入った身どころが、手に入らないと、店を休むんです。それから、強火で焼き上げる手順は、普通のとおりなんですが、最後に、鍋を下ろす間際に、ザーッと、醤油をかけるんです。日本の醤油 ― おシタジをですよ。肉の汁(ジュウ)と、醤油が一緒になって、いいソースができるんですな。うまかったですよ、コレは 》とある。ね、ちょん髷の人の話なのに、食べ物の話になるとたった今現在のイメージが湧いてくるでしょ、コレはひとえに食欲のせいですよね。 それで、話が古くならないし、レトロにならない。などと読み返したら、どうでもいいことに、ちょっと気がつきました。
この小説の舞台には、東京の赤坂、横浜、神戸などがでてきます。執筆当時の獅子文六は、その赤坂に住んでいました。隣接する青山一丁目が実家だったぼくは、近所で散歩中の獅子文六先生を何度も見かけましたよ。晩年七十代でしたが、いつもカクシャクとした着物姿、下駄履きでユッタリと歩いていた。子供の頃からファンだったぼくとしては、咄嗟にサインをねだろうと、いつも思ったのですが失敗。どこかガンコジジイな、人を寄せ付けない風格があって、しかしそれがまた文士らしくてカッコよかったな。
小説のなかの神戸のところを読んで、ぼくは神戸を空想し、そのエキゾチシズムに酔いしれて憧れを抱き、二十歳の頃の夏休みに初めて神戸旅行を敢行しました。早速、小説に出てくる海岸通りのキングズ・アームスへ行って、ロースト・ビーフを食べたのですからバカですね。フロインドリーブのパン、コスモポリタンピロシキボルシチユーハイムのバームクーヘン、デリカテッセンのスモークサーモン。当時は東京の支店より、どこも神戸本店のほうが断然美味くて、古い店舗もエキゾチックな佇まいなのでした。残念ながら70年代に行った頃には、スッカリ雰囲気が変わっちゃってガッカリ。しかし もう一度「バナナ」を読めば、いつでも60年代の神戸も東京も蘇えってくるのでした。 「バナナ」は先代尾上松緑の呉天童役で映画化されましたが、とても原作には敵わない。獅子文六作品の映画化で、唯一原作と肩を並ぶのは加東大介主演の「大番」なり。とまた長いムダ話でした。