鉄道の日 問題

osamuharada2007-10-14

今日のどうでもいい話。駅貼りのポスターを通りすがりに見たら、『10月14日は、鉄道の日 』とある。日本初の鉄道が新橋−横浜間に開通した『明治5年10月14日』を記念しての日付だと説明している。それを読んで漠然とした疑問が生じた。確か日本では明治5年までは和暦で、明治6年から西暦(太陽暦)を採用したはず。仕事場に戻り、木村荘八著「東京繁昌記」の鉄道の話の部分を探してみると、鉄道開通の日付は、「明治5年9月12日」とはっきり書いてある。やっぱりポスターの説明は間違ってるぞコラっ! 何故なら日本がキリスト教の西暦に替るのは、明治5年の12月3日からで、この日が西暦では1873年(明治6年)1月1日にあたるのでした。従ってまだ和暦の「明治5年9月12日」は、西暦に直せば「1872年10月14日」になるのです。つまり鉄道の日を「10月14日」とするには、明治5年表記は間違いで、「西暦1872年」と謳わなくてはならないのであります。という、またどうでもいい話でした。
ところで、木村荘八本にあった上の挿絵は、明治10年頃の品川駅の図です。線路と駅が海岸のほうに突き出ているのが変でしょ。そもそもこの鉄道はイギリスからの要望によるもので、すべて外資でできている。それで木村荘八はこう書いている。「売国行為とする声なども高く、高輪付近の測量は、陸軍部がガンとして許さなかった。それが海面へじかに埋築して鉄軌を通じた理由」なのだそうです。線路は陸ではなく外の海岸線ぎりぎりの部分に敷かれ、ここの駅も仕方なく海岸部へ突き出てしまったワケ。外資売国奴を締め出したのは偉い!よね。なのでコレはもう日本の鉄道などと呼べるシロモノではないだろう。
鉄道ファンなら誰でも知ってるらしい話。 この最初の蒸気機関車はイギリスのバルカンファンドリー社製です。しかしながら日本の重要文化財になってるところが悲しいな。そしてもっと悲しいことに、この線路の幅(ゲージ)はイギリス本国の軌道よりも狭い狭軌(3フィート6インチ)で、日本では「植民地軌道」と呼ばれている。なんとこれはイギリスが植民地において採用した軌道ですよ。英語では、イギリス領だった南アフリカケープタウンにて用いた由来で、これを通称「ケープ・ゲージ」と呼んでるそうだ。 新幹線は広い軌道にしたので高速で走れるけれど、現在に至るも日本の鉄道はほとんどが「植民地軌道」のままだという。どうでもいいけど、しかし情けない話。