ホロヴィッツのハイドン

osamuharada2006-06-20

もともとハイドンの素朴で大らかな感じが好きだったので、ショパンやリストで鳴らしたホロヴィッツのピアノはどちらかというと苦手だったのが、死の直前に演奏したHOROWITZのThe Last Recordingを聴いて以来、ハイドンピアノソナタ 第49番変ホ長調 Hob.XVI:49 といえば、このウラディミール・ホロヴィッツ最後の演奏がぼくの愛聴盤になりました。ハイドンがこの曲を作曲したのが1789年、ホロヴィッツの録音は1989年なので、偶然にもなんとぴったり200年目でした。
グレン・グールド演奏でこの曲を聴くと、なんだか弾丸道路をぶっ飛ばしてゆくような、一点透視図法の絵のような求心的で不穏な気分になります。実際に第一楽章アレグロでは、ホロヴィッツの6分44秒、グールドは大忙しの4分46秒です。またこれをアルフレッド・ブレンデルの演奏では10分34秒もかかってちょっとくたびれる。ハイドンの自筆校にあるピアノフォルテを完全復元したというマルコーム・ビルソンの演奏を聴いてみると、時間はホロヴィッツと同じだが、ラジオ体操をしたくなるようなつまらない曲に聞こえたので、これがほんとだったらハイドンが可哀相だな。弟子のモーツァルトやベートーベンに比べて人気が無いのもわかる。
しかし、このホロヴィッツハイドンを是非聴いてみてくださいね。これぞまさしく、ハイドン!と思えるくらい、ホロヴィッツの演奏は生気があふれて、あのハイドンの簡潔で輝く古典の美しさに満ち満ちているのでした。聴いていると、200年昔のヨーロッパの森のなかを2頭立ての馬車にゆられてゆっくり走っている景色がでてきます。緑の木漏れ日の下を恋人と歩くようなロマンチックな気分の風景です。
パパ・ハイドンは近代的自我のモーツアルトやベートーベンに比べて、より前近代的タイプで、現代での人気はイマイチのようですが、ぼくはこの古めかしくも豊かで素朴な感じが大好きです。貴族に仕えるただのバンドマスターだったハイドンは、大芸術家という自負が少ないのかどこかノホホンとしている。気楽に人生と音楽を楽しんでいた古き人ってところか。ともあれ、夏は涼しい木陰で昼寝をする時分などに、ホロヴィッツのピアノで聴くハイドンの、このピアノソナタ第2楽章アダージョ・エ・カンタービレは最高ですよ。

ザ・ラスト・レコーディング

ザ・ラスト・レコーディング

注意:このアマゾンの内容表記はハイドンとあるべきところがショパンになっていますよ。やっぱり日本では人気がないとこうなるのか。ケシカラン。