ポップ・アート

osamuharada2005-06-23

これは島のアトリエで、絵を描くときにいつも使っているテーブルです。高さが丁度よい具合で、筆を置くのに便利です。といっても、ご覧のようにアンディ・ウォーホルを有名にした、洗剤Brilloの箱のポップ・アート作品、それの模造です。洗剤の箱の模造作品をまた模造して意味不明となった箱といったほうがいいかも知れませんね。ぼくがテーブルがわりに使うと、コレは洗剤でもなくアートでもない、ただの物置台になります。なかなかコンセプチュアルアート?ですよね。もともと渋谷の洋服屋のディスプレーとして置いてあったのを、友達が5千円くらいで譲ってもらい、引越しの時に邪魔で捨てられる寸前のところを、ぼくがもらい受けたという経歴の持ち主です。高校時代のナマイキな頃、当時アメリカのアヴァンギャルドとして登場したポップ・アート全体は、すぐに好きになりましたが、ウォーホルだけは好きになれませんでした。ロイ・リキテンスタインジェームズ・ローゼンクイスト、トム・ウェッセルマンには、新鮮な驚きとともに、躍動するアメリカの若い芸術を感じました。しかしウォーホルは、どこかインチキ臭いスノッブな二流画家という印象でした。作品より作家自身が前面に出るタイプで、ただの出たがりやじゃないかというわけです。『オサムグッズ スタイル』228頁にも書きましたが、アートとしてより、ただのパッケージデザインとしてのBrilloのほうが好きでした。キャンベルのスープ缶などは、ぼくの親父が商いしていた輸入食料品屋の店先に、ズラーっと並んでいたのを、子供のときから見慣れていたからすこしも驚きませんでした。もっとも美術館やギャラリーに置くからアート?なので、当時日本では「美術手帖」などに掲載された、小さな写真でしか見られなかったはずでしたから、これならウチの店にも売るほどあるぜ、などとナマイキ高校生をやっていたに過ぎません。後でこれは、マルセル・デュシャンがとっくに実現していたところの、作品「泉」(レディメイドの男性用便器に「泉」と題名をつけ美術展に出品した)、いわゆる反芸術と同じことなりと理解して気が楽になりました。どうでもいい話でしたよね、とにかく理屈が先に立つので、いろいろ前衛芸術って大変なのですよ、ホント。それでぼくは意味や理屈を持たない純粋抽象画を描くのに、理屈尽くめのポップ・アートをただの道具(台)に使っているわけです。でも、やっぱりいいなBrilloは。