佐野繁次郎

osamuharada2005-03-11

オールドファンには懐かしい画家、「佐野繁次郎展」が4月2日から5月15日マデ、東京駅丸の内の東京ステーションギャラリーで開催されます。どんな作品が出るのか、今から楽しみです。美術に興味のない方(ただし60歳以上でしょう)でも、昭和30年頃からの「銀座百点」の表紙、化粧品「パピリオ」のデザイン、銀座並木通りにあったレストラン「レンガ屋」や「セントメリー靴店」などの描き文字の店名、当時の単行本の数々の装丁デザインなら、ああ、あれかと思い出されるでしょう。ぼくは特にコラージュ作品と描き文字が、子供の頃から大好きでした。
この写真の本は昭和30年発行の渡辺紳一郎著『巴里風物誌』の中の、繁次郎の挿絵です。このエッセイ集には60枚もの佐野繁次郎スケッチが収められているのでお買い得。画中、パリの街の看板ポスターなどの描き文字が利かせどころです。文のほうの渡辺紳一郎は、これまた古いけれど当時はNHKのクイズ番組「私の秘密」の回答者として大人気だった人。テレビ文化人のハシリのようなオッサンで、ヒゲと黒縁眼鏡、派手なツイード・ジャケットでループタイ、いかにも外国生活だけは長い感じの人でした。この著者のほうはすでに忘れられた人だから、古本ではまだまだ安く手に入るので、繁次郎ファンは今のうちにPARISスケッチ集と考えて探しておいて下さい。
以下はこの繁次郎の手描き文字についてのぼくの推理。  それは同じく大阪出身で2歳年上の画家・佐伯祐三のパリ風景画(看板やポスターの文字が激しい筆致で描かれている)に、繁次郎の描き文字は強く影響を受けたと思われる事です。佐伯は1928年パリ、30歳という若さで亡くなっています。佐伯は野獣派のブラマンク、アル中のユトリロからの影響大で重く暗い画風、一方繁次郎はマティスに師事して軽妙で明るい作風、という違いがあります。  また繁次郎描き文字は「暮しの手帖」の花森安治の描き文字に強い影響をあたえているのです。昭和17年(戦時中です)発行の雑誌「くらしの工夫」での佐野繁次郎編集とデザインは、昭和21年(戦後)から始まるそっくりそのまま花森安治の「暮しの手帖」デザインと描き文字の原型になっています。現在の「暮しの手帖」編集長大橋さんにうかがってみたことがあったのですが、あの手描き文字は偶然似ていただけよ、と何故か軽くいなされてしまったのです。しかしこの「くらしの工夫」が動かぬ証拠です。どう見ても影響というよりは真似に近いのです。ま、どうでもいいことだから、素人のぼくは反論しませんでしたけど。またマダム・マサコなる今ならセレブ御用達のブランド評論家のような作家もソックリの描き文字です。銀座百点でも連載で書いていましたが、彼女は繁次郎の愛人だったから、コレはまあしょうがない。しかしそっくり真似と影響は別のものです、他からの影響無しに絵は描けないし発展もありません。例えば現在のイラストレータ大橋歩さんの雑誌「アルネ」での描き文字は、まさしく「暮しの手帖花森安治に影響されて、しかも独自のスタイルになっています。それはもっと若い人達にもさらに影響を与えて、最近も描き文字は流行しています。こんなふうに時代を超えて受け継がれてゆくものって、考えるだけでも面白い。
オマケの話。美術好きで、ミステリーも好きな人にオススメ。  佐伯祐三の絵の中の描き文字、あれは妻の米子加筆によるもので、祐三のものではないという説。これは凄い!話です。美術館、美術評論家、画商が地位と名誉と金(なにしろ佐伯の絵1点は1億や2億円はアタリマエ)を失いかねないノンフィクションなので、最近は(無理やり)ナリをひそめさせられている説です。詳しくはこのサイトで。http://homepage2.nifty.com/hokusai/saeki/saekiyuzo.htm  佐伯の不自然な死(2週間後に5歳の娘も急死)は、妻が二人を砒素で毒殺説。と、パリ殺人ミステリーという感じ。さらに昭和初期の陸海軍スパイの話へと大きく拡がってゆきます。というわけで、描き文字どころの騒ぎじゃないのでした。
参考文献は時事通信社刊、落合莞爾著『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の謎』