祇園・ぐりる金星

osamuharada2005-03-06

年来の京都通いで、好きで必ず食べに行くお店の話。ぼくが30歳になった頃、旨いモノを食べるということに突然目覚めて、美術鑑賞旅行にプラスして料理屋徘徊がはじまりました。京都へ旅して、ゆくりなく出会ってその虜になってしまったお店が、祇園切通しに今もある「ぐりる金星」でした。それまで経験したことのない新しいスタイルの料理なのに、どれもこれも素材の旨みがしっかりした、昔から良く知っているような旨さの味覚なのでした。オリジナルの料理法は、京都の懐石、フランス料理などを研究してたどり着いた独自のものです。小さい食器で14種類くらいの料理が次から次ぎへと絶妙のタイミング、冷暖の差、味覚の配列と組み合わせで、まるで旨みの連続ドラマのような感じがしてきます。広くない店内は中の厨房を囲んで鍵型のカウンター席のみで、天才オーナー・シェフと4人のお弟子さんの手際よく働く姿を眺めながら、食べることに集中できます。厨房の中は程よい緊張感とくつろいだムードで見てるだけで楽しくて食欲が湧いてくる。すっかりこのお店にハマってしまって、他にもあちこちの料理屋(例えば当時の「千花」など)のグルメ総ナメをしてみても、また金星に戻ってくるという、ここがぼくの定番になりました。その後京都のイラスト学校(今も講師を務めてます)がスタートすると毎月の金星通いです。40歳を過ぎた頃、フランス料理界でヌーヴェル・キュイジーヌが興ったと聞いて、パリへの旅行では、まだ「ジャマン」時代の新星ジョエル・ロブションを食してみたくなり予約(なんと半年前じゃないとダメ)を入れました。お昼を抜いて、いざジャマン。オードブルは確かに旧フランス料理と違って、重たくなく油濃くなく素材中心主義、確かに旨い。ワインの料理との組み合わせも本場はさすが絶妙なり。だけど待てよコレこの味覚、金星そっくりじゃないか。コレって金星がとっくにやっていますよ。しかし魚から肉になってくると、ドラマの展開は大げさで重々しくなり、セシル・B・デミルの映画のようになってくる。しかもここまでで約3時間。それからインターミッションの後で、大ワゴンに乗ったチーズのパレードはフェリーニの世界。デザートは大甘でくどいというか、これ以上何か口に入れたら死ぬ。と、まあそんな感じでした。きっとただワタシの胃袋が小さいだけのことなんでしょう。その後好きなパリへ行っても、なるべく自炊で旨い素材を仕入れて食べることに方向転換です。自分は日本人である、グルメなんかじゃなくていい、京都に帰って金星へ行こう。それからその後、もう10年くらい前になるかな金星のオーナー・シェフが急逝され、もうあの味は終わりかと悲嘆にくれましたが、現在3人のお弟子さんシェフは、実に見事に金星の味を守って、料理を食べる幸福を与え続けてくれてひと安心です。かにかくに祇園は恋し・・と、ぼくの京都食べもの話でした。
写真は先週行った時の一皿で始めから3番目。熱々のコンソメあんかけ風、下につまみあげ湯葉と上にアンキモ。生姜がほど良いこのコンソメが曲者です。どれだけ手間ひまかけたコンソメだろう凄いな、寒い、寒い(また京都式)で至福の味のひとつでありました。