寄席のミニチュア

osamuharada2005-03-03

京都。二条を上がって寺町通りの骨董屋さんで、看板に三遊亭円朝の名がある寄席のミニチュア(屋台風物模型といいます)を買いました。京で江戸の物を買う。よく見ると円朝の高弟、橘家円喬や三遊亭円右、円橘の名もありますから、おそらく明治後期の寄席をイメージしたものだというのが解かります。朝寝坊むらく、都々一扇歌の名もあり、落語マニアのぼくはこれを見つけて目が点になったのでした。その模型軒先にはビラ(ポスターですね)が下がり、人情ばなし円朝の横には、怪談ばなし林家正蔵とあります。これが何代目の正蔵かが解からないのと、この席亭の名が古今亭と書いてあって、どこの町にあった寄席かが、も一つ不明な点はマニアとしては忸怩たる思いあり。ともあれ細かい細かい(京都式に二度言う)手仕事が心憎いミニチュアです。目線で中へ入っていくと、下足番がいる土間があり、ここで履物を預けて(壁側に下足を引っ掛けるための番号まで書いてある)上がると柿色地に梅の紋を白抜きにした暖簾があります。その左側は波打つ板目(建物部分はすべて柾目を使用)の杉戸がちゃんとはまっているといった凝りようで、インテリア好きでもあるぼくなどは嬉しくなっちゃうのでした。建物の中身は無いので、暖簾を押してこれから先は安藤鶴夫著『落語鑑賞』(昭24年工藝社版か昭27年創元社版に限る)の木村荘八が描く装丁挿絵を見て、明治の寄席の中に入ってゆく客の気分に浸る事にいたしますか。
20代30代、ぼくは落語に耽溺していました。モチロン古今亭志ん生桂文楽三遊亭円生のリアルタイムのファンでした。なかでも円生は正統的に三遊派の総帥円朝の作を再現して、江戸末期の歌舞伎世話狂言の味が濃い人情噺を得意にしていましたから、歌舞伎&浮世絵マニアでもあるぼくには最高の噺家でした。東横落語会には何年も毎月通い、独演会には必ず追っかけで聴きに行きました。ほとんどのレパートリーをナマで聴き、円生すべての著書とレコードも買いました。円生の『寄席育ち』、『明治の寄席芸人』(青蛙房刊)によると、このミニチュアの看板にある橘家円喬について円生は「あたくしが聞いた噺家のなかで、本当にはっきり名人だといえるのは、この四代目円喬だけでございまして」とあります。いつだったか三遊亭円朝作の「鰍沢」という話を円生が演じた時の枕で、若い頃、円喬がこの話を高座にかけているのを楽屋で聴いていると、外は晴れてるはずが急に暗く雪が降り始めたようで寒くなったと錯覚した、それほど物語が真に迫って聞こえたというエピソードを披露しました。雪の身延山が舞台の三題噺で、手に汗握るヒッチコック張りのサスペンスです。ぼくは円生もまた不世出の名人だったと思っています。さて、今晩は東京も夜中から雪になるとのこと、この寄席ミニチュアを前にして、CDであの懐かしい三遊亭円生の「鰍沢」を聴きながら、熱燗(話にでてくるのは毒入り玉子酒だけど)で一杯、ってぇよなことにあいなりますか。