椿

osamuharada2005-01-23

これから2月いっぱいにかけて、ぼくのアトリエのある島では椿が満開になります。冬の西風が吹いて、快晴の日に畳の上、ひなたぼっこをしながら、眺めている椿が好きです。煎茶をすすりながら、鶯のささ鳴きの声を聞く。そして久保田万太郎の句集をひらく。

日にひかり風にかゞやく椿かな

この老人趣味を、ぼくは島でもう20年来、毎年やってきました。昔からジジくさいといわれてきたけど、いよいよ本物の老人まであと一歩というところに来ました。ぼくには、なんか歳とって嬉しいなって感じに、椿はさせてくれる花なのです。他の花、例えばバラや桜ではこういう老人気分にはなかなか到達できません。蝋梅や白梅も好きだけれどちょっと知的な感じがする。この縄文時代から島で自生の、五弁の藪椿の持つ、古風なたたずまいはまた格別です。
この写真、去年庭に増築した、BARの一隅に椿を置いてみました。ガラス窓の向こうにも風に輝く椿が見えています。アンティークの、アメリカのガラスの花瓶に入れたら、ちょっとオシャレ過ぎてしまったので、いつもの老人趣味ではちょっと合わないかなと思い、何故かJAZZの愛聴盤を聞くことにしました。ヴァイブ奏者ミルト・ジャクソンの“The song is ended"という一曲。明るくて淋しいところが好きで、幾星霜聴き続けてきてなお大好きな演奏です(CDはすでに廃盤)。この曲名、さらに“but melody is gone”と続く表記の場合もあるそうです。歌は終わりぬ、されど旋律は心に残る、とでも訳すのでしょうか。これはダブルミーニングで、別れた後も忘れえぬ人、ってことにもなるらしいです。ね、なんかシャレてますよね。と、椿にはあんまり関係ナシですが、昼間っからこういうようなただの暇つぶしをしてることも、すでに立派な老人趣味かもしれません。