
ペーター佐藤の Fashion Illustration は、1979 年に仕事場をニューヨークへ移した頃に完成したと思います。この年のファッションは最新の音楽シーンとも深く関連していました。ロンドンの PUNK がニューヨークへ渡り NEW WAVE が始まった頃のことで、ペーターは作品集のなかでこう書いています。《 ファッションは、ひとくちにいって、ベリー・シックスティーズである。たとえば Aライン、サックス・ドレス、ミニスカート、そして肩幅の広いジャンプスーツが主流になりそうな気配。ベッツイ・ジョンソンは早くもニューウェイブ・ファッションをものにして、みごとに変身をとげている。パトリシア・フィールド、マリー・レムリーなどが目下のところ気にいっている。》写真は「よくモデルになってもらっているアンと。」ペーターです。
1979 年は、渡米前のペーターの命名により Palette Club のできた年でもありました。その十月には安西水丸、新谷雅弘先輩らと一緒にニューヨークのペーターを訪ねてゆきました。SOHO の広大なロフトの仕事場には、Talking Heads の最新曲が流れていました。七十年代音楽のダサさを引きずったままの東京から来てみると、まったく新しい音楽やファッションがニューヨークで生まれていたのです。ペーターは《 ブラックアンドホワイトのオプティカル・パターン、プラスチック・ペーパーや蛍光色のビニールクロスなど、新しい素材を駆使して、シックスティーズのフィーリングで仕立て上げたドレスが、ニューウェイブ・ファッションの典型的なスタイルのようである。ヘアは断然ショートヘアでなければならない。》と書いています。
そういえばペーターの短髪は、クライアントのヘアデザイナーによって、一時は青く染められていました。おチカさん(奥さん)まで緑色に染められた。それに人からの貰い物という服に身をかためて、ペーターもすっかりパンクっぽいファッションになっていた。しかしながらペーターの優しすぎる人柄が災いするためか、ちっともパンクには見えなかった。どちらかといえば中国人の苦力(クーリー)みたいだよ、とぼくがケナしたら爆笑した。ぼくが何を言っても決して怒ったことがない。いつも修行僧のようだねとからかっていたのに、ペーター兄貴はぼくの毒舌が好きなのでした(のはずです)。
1979年のヒット曲、ペーターにすすめられて聴いたトーキングヘッズや The B-52’s、DEVO など、これがニューウェイブだよと言われても、よくわからなかった。何だかみんな神経症にかかっているみたいだな、といったらまた優しくペーターは笑っていた。ぼくがジャスト’79年のヒット曲で好きになったニューウェイブは、Blondie のデボラ・ハリー。あとは英国の Dire Straits マーク・ノップラー(特にそのギタープレイ)などでした。しかしパンクも、ニューウェイブの後のニューロマンティクスも、ぼくには無縁のままでした。日本のテクノも苦手。つまり時代の波に乗ることができず、とうとうファッションイラストだけは描けずじまいでした。
ぼくが唯一好きなほうの、パンクでニューウェイブは Blondie。この動画の冒頭に、当時ニューヨークの音楽シーンの拠点となった BOTTOM LINE や STUDIO 54 の看板がでてきます。デボラ・ハリーはペーターと同い年。
これも欧米ではニューウェイブと呼ばれたそうですが、日本じゃ無視された Dire Straits。確かにマーク・ノップラーはファッションとはほど遠い。