さよなら鎌倉近代美術館

osamuharada2015-08-23

【 美術ノート 】
あと半年ほどで閉館になるという、鎌倉の『 神奈川県立近代美術館 』へ。なくなっちゃうのは惜しいな。ここは川端実先生との思い出ある場所だった。一棟はすでに閉鎖、現在は二室のみでの展示中。第一室では、劉生の「麗子像」が他を圧して燦然と輝いている。岸田劉生こそは日本近代絵画の最高峰だと確信する。麗子の瞳に「永遠」が宿っている。外に出て二階の蓮池を望むカフェでは、「川端実展」( 1975年 )のときに先生と長々話をしたことなどが懐かしい。そして扉を開けて第二室に入ると、真正面に半世紀前の川端実作品(1961年)が掲げられていた。しばし感涙。純粋な生命力の発露、画品の高潔さで同時代の画家たちを凌駕しているのは一目瞭然。あるとき先生は「 画家が死んだあと、その絵が百年、二百年と持ちこたえるかどうかだな。」と話された。その言葉が今になってひしひしと感じられる。
イラストノート
上野から蓮の咲く池之端を通って『 弥生美術館 』へ。先年亡くなったイラストレーター「森本美由紀展」。伝統的ファッションイラストを描ける最後の人だった。フランスのRené Gruau(1909〜2004)を憧憬していた森本さんは、グリョーのサイン✳︎印とgの文字 を真似て、自ら「✳︎ m」と署名をしていた。「オマージュ」の表現であった。50年代 VOGUE 誌を嚆矢とするこのスタイルは世界中で流行したが、René Gruau の源流は Christian Bérard(1902〜1949)にあるとぼくは考えている。ファッションイラストの系譜。

【 デザインノート 】
東京五輪エンブレムデザイナー、とうとう「コピペ」常習が証明されてしまった。また誰かが〈おでん〉を使って傑作「パロディ」作品をつくったが、シャレのわからない五輪側はこれを恫喝してストップさせたよし。それにしてもマスコミは、生ガキ競技場デザインの件で「審査委員長・安藤忠雄」をさんざん叩いたというのに、東京五輪エンブレムデザインの「審査委員長・永井一正」のほうはまったく追求も取材もしていない。ひとり横尾忠則さんが、選んだ審査員側の責任問題を訴えられていた。審査にあたったこの広告デザイン利権グループは、親子兄弟、師弟関係でバッチリ繋がっているそうだ。広告費で食べているマスコミには歯が立たないのだろう。
元気いっぱいの孫の夏休みにつきあいながら、T V ニュースでパクリ疑惑デザイナー氏の釈明映像を眺めていたら、孫 (幼稚園児)が「このおじさん、まじ ヤバクない?」と突然つぶやいた。けだし名言、と祖父は思ったね。