真打・古今亭文菊

osamuharada2012-09-03

昨日、菊六改メ古今亭文菊の、真打昇進お披露目パーティーに行ってきました。帝国ホテルで、しかも500人ちかくを集めるとはビックリです。昔の噺家には、かつてなかったことでしょうが、これも昨今の流行だそうです。つくづく落語の世界もずいぶん変わってきたもんだなと思いました。
ぼくが落語にハマった二十代の頃は、昭和の三大名人・古今亭志ん生桂文楽三遊亭円生が現存していたのですから、それこそ夢中になって江戸の古典落語を堪能させてもらいました。最後に残った円生は、芸人世界の内輪のイサクサに巻き込まれながらも、噺家としては、至芸と呼べる領域に達していて、孤高の存在であり続けました。円生ひとりで復活させた、江戸期から明治にかけての三遊亭円朝の噺の素晴らしさには、完全に圧倒されました。ほとんど毎月、円生を追っかけて聴き続けていました。
昭和54年に円生が亡くなって、これで三大名人がいなくなると、ぼくのなかでの本格的な江戸落語は終わってしまった。気が抜ける、という感じですね。その後の志ん朝小三治でも、江戸落語という特殊な世界観においては、どこかがものたりなく感じられた。談志など論外でした(例えば『芝浜』で棒手振りの魚屋の女房が「包丁を磨いといたからね」と言ったのには驚いた。包丁は研ぐもんでしょ)。そいうわけで落語からはしばらく遠ざかっていたのが、二つ目になったばかりの古今亭菊六を、友人の店で聴いたとき、これはちょいとイケるかなと予感した。で、及ばずながらも、陰で応援した次第。それが、あっという間の真打昇進とは、ヤツガレにもまだ見巧者と自負したカケラが残ってたりしたのかな。
さて、新参者の古今亭文菊に、壮大な江戸落語の復活を望むのは、まだまだこれから先のことでしょう。しかしいくら時代が変わっても、《古今亭》という名を聞くだけで、あの志ん生を連想し、江戸落語に思いを馳せて、いまでも胸が熱くなるのはトシのせいかもしれません。
では、今週金曜日『古今亭文菊・落語会』で、またお会いしましょう!
落語会のお知らせは→[id:osamuharada:20120809]