兼高かおる世界の旅

osamuharada2011-12-28

個人的に今年を振り返れば、アチコチよくまァ歩いたもんだな、という感じかな。東京にいてはなんとも落ち着かないので、自由きままな旅をすることにした。地震とゲンパツのせいで大番狂わせにさせられた年でもありました。
今年はずっと専門チャンネルを録画しておいた、1960年代の『 兼高かおる 世界の旅 』再放送を観ていた。気分はすっかり十代の頃にさかのぼり、旅に憧れた昔を思い出した。まだ海外情報のほとんど入らない時代、このテレビ番組で海外への夢を大いにかき立てられていたことが懐かしい。こんなせまくるしい東京なんかにジッとしちゃいられないや、というような焦燥感を感じた年頃なのでした。半世紀も過ぎて、不思議に今また同じ気持ちになってきた。(写真はその頃の愛読書)
そしてあの‘60年代は、いつも前向きな堂々たる態度で、どこへでも平気で行けちゃう兼高かおるさんに、強い憧れを抱いていた。屈託がなくて自由な人柄で、ジョン・F・ケネディーやサルバドール・ダリにだって臆することなく会いに出かけた。明朗な発声のナレーションは、いまや聴くことがほとんどなくなった明治から続く「山の手言葉」に他ならない。貴重な言語学的遺産としてアーカイブに残しておいて欲しいものだな。何度聴いても、こちらの気分まで晴れわたってくるような美しい言葉づかい。
この番組のテーマ曲『 八十日間世界一周 』(Around The World・ビクター・ヤング作曲)は、さらにさかのぼって小学生の頃から好きな曲。もとは同名の映画主題歌だったのです。子供の頃に観たこの映画(1956年・マイケル・トッド製作)が、最初に世界旅行への憧れをぼくにもたらしてくれたのでした。『 兼高かおる 世界の旅 』では、さらにこの曲が重なるわけだから、もう条件反射的に、とにかくどこか旅に出たくなった。村上春樹のいう『遠い太鼓』の音が聞こえてくるあの感じね。毎週日曜日の午前中、この番組を見つづけて二十三歳になったとき、1969年、ついにぼくは意を決して、初めて世界一周の旅に出たのでした。 そして、このトシになっても、旅は、何か明るい「兼高かおる的効果」を自分にもたらしてくれて、いまも変わることがないのです。