まぼろしの安全神話

osamuharada2011-12-12

去年の暮れ、このブログで「今そこにある危機」と書きました。 その時点のアマゾンで、広瀬さんの本に対するクリック数は、たったの十数回だったと記憶しています。いま見てみたら二千回を超えています。→[id:osamuharada:20101220]   当然といえば当然ながら、いかに捏造された「安全神話」が、真実の声をふさいでいたかが判ります。そしてついに、本に示唆されていた《暗黒の時代》は、静かに始まっているのかもしれません。
チェルノブイリ大惨事の時には、日本にも放射性物質が三日後だったかに到達するというNEWSに驚いて、子供を戸外に出さないようにさせました。実際に気流で運ばれて飛来したのです。それからは、輸入食料品の産地などにも注意をはらっていました。しかし、いつしか情報も入らなくなり、世間では旧ソ連時代のチェルノブイリのことなど、すっかり忘れたかのようでした。放射能の「目に見えない恐怖」は、やがてUFOか幽霊のごとくに扱われ、その事を口にすれば、ただの臆病者めと嫌がられるのがオチでした。その後、国を挙げての「安全神話」づくりがスタートすると、臆病者は口をつぐむほかありませんでした。反原発も、もの言えば唇寒し秋の風、というわけ。それも3.11以前の話になりましたね。史上最悪の人災、原発事故が起きてしまいました。
しかし、いまだに危機は去らない。内部被曝という「目に見えない恐怖」は、国策の新たなる「安全神話」によって封じ込められようとしている。いわく国が決めた暫定基準値以下なら不検出ということで、安心安全だ。それでも不安は去らないと考えているのは、臆病者のヤツガレだからでしょうか? そんなことはない、多くの人々がもうとっくに気がついていると思います。覆水は盆に返らず。多大のリスクを背負わされ、これからはサバイバルに生きてゆくしかないと決心した人も沢山いる。または、再び怪しげな御用学者があやつる「新・安全神話」というものにすがりつき、信者として従う人だっている。いずれにしても、だれもがほんとは疑心暗鬼を抱いている、まさに暗黒の時代ですね。 こんな時代に、国民を第一義とは考えない国策などに縛られることなく、自己判断の自由意思で生きるには「勇気」がいることでしょう。ヤツガレもこれからは、臆病者と誰かによばれたら、勇気ある臆病者だと返すつもりです。