地震と古代史

osamuharada2011-04-25

天災(地震)に、人災(原発)の影響が長びく東京にいては、まったくもって落ち着かない。東京には、ひたすら自粛する人。経済のためにもっと消費すべきとカラ元気の人。今度のことで反原発派になった人。恐怖ですっかり委縮した人。こんな時は「上を向いて歩こう」の人。急変したこの世界を、どうとらえるかは人それぞれのようですね。しかし残念ながら、どうせ東京のことは、人々が選んだはずのカンだのイシハラにおまかせするしか他にない、とあきらめて、ヤツガレは老骨にムチうち、只今、さすらい中の身であります。
旅には必ず本を持ってゆく。このたびの巨大地震津波も含めて、ことごとく予測が当たっている海洋地質学者・木村政昭先生の著作。プレートテクニクス理論の大家でもあり、1986年の伊豆大島大噴火を予知された頃からの、ぼくは木村先生の愛読者なのです。ジャーナリストの広瀬隆さん同様、世間に警鐘を鳴らすことを使命と考えている学者さんです。当然ながら、行政や御用学者やマスコミからは、うとましく思われている存在。なぜなら、在野にありながら、懸念していたことがすべて当たってしまうからなのです。昨年10月に出版された『「地震の目」で予知する次の大地震』は卓見でした。これから起こりうる地震や噴火についての見識を得たい方には、是非おすすめしたい。
地震予知という内容は、読んで楽しいというものではないが、木村先生には、関連しているもうひとつの研究がある。それがこの本、昨年6月に上梓された『邪馬台国は沖縄だった!』です。これには思わず興奮した。専門のプレートテクニクス理論を駆使しての古代史。新しい視点から探った二千年前の世界。ぼくのような古代史好きには目からウロコが落ちるような学説です。
ただあまりにアカデミズムからは受け入れられない(地震予知と同じですね)説のためか、前書きでは、いきなり古代史ファンに問題提起を突きつけている。いわく【 「邪馬台国は沖縄(琉球)にあった」―こう記したとき、おそらく大多数の読者はとまどわれることだろう。特に邪馬台国に興味をお持ちの方のなかには、これまでの邪馬台国の比定地とされてきた畿内・九州を遠く離れ、沖縄だと主張することに眉をひそめられるかもしれない。】
と前置きをして、【しかし、そうした方々にお聞きしたいのだが、いわば唯一の資料である『魏志倭人伝』が、ほとんど恣意的に扱われたうえでの畿内説であり九州説であったことをご存じだったろうか? おもな問題点を挙げるだけでも、畿内説は里程(距離・日数)を正しいとしながら、方位は誤記だという。対して九州説は方位を正しいとしながら、都合の悪い里程については折々に誤記があるとする。たとえば《 水行十日、陸行一月 》の部分を、陸行一月はあまりに長くかかりすぎるので一日の誤記だ、といった具合である。】 と、ぼくのような素人でも前から変だなと思っていた学者たちの言説に、まず異をとなえてこの本はスタートする。
そしてプレートテクニクス理論で導き出された邪馬台国は、沖縄本島の北谷(ちゃたん)沖で発見された海底遺跡がそれだという解明に至る。荒唐無稽のそしりを受けかねない学説だが、先月の千年に一度という超巨大地震における地盤沈下の事実が、この木村先生の理論をはからずも証明してしまうことになったとは、まさに青天の霹靂といわざるをえないだろう。
ぼくは改めて岩波文庫の『魏志倭人伝』を読みなおし、地図を買って眺めてみた。倭人伝を素直に読み下せば、どう考えてもちゃんと沖縄にたどりつくではないか! そして次々と展開されてゆく木村説を読みすすむうち、久しぶりにトリハダがたった。 実は、先日沖縄の那覇で、琉球大学名誉教授でもある木村政昭先生の講演を聴きにいってきたのです。先生は真に聡明な人物という印象が強かった。その心の広さを目の当たりにして、どんなに困難な時代であっても、大きな歴史的観点からものを見ることがいかに大切かを教わりました。われわれの住む惑星、地球は生きている。生命をはぐくみ、ゆるやかに回転しながら宇宙の時空間を旅し続けている。

邪馬台国は沖縄だった!―卑弥呼と海底遺跡の謎を解く

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