竹籠含春

osamuharada2011-02-19

失われた十年》といわれてから久しいが、ついに「不況」は二十年目に突入したという。しかしこれは、戦後の経済発展とバブルに踊らされた世代だけが、「失われた」と騒いでいるだけじゃないのかな。最近は中国にGDPで抜かれて負けてしまった、とさらにガッカリなんかしている。これも日本は《経済戦争に負けた》とかいう、マスコミのでっちあげた、ただの敗戦イメージじゃないのか? ほんとは、パチンコや株で大損したのとまったく同じことだと思うけどね。バクチでスッちゃった二十年、と言うべきだよね。
マスコミが、したり顔でよく使う《経済成長》という言葉も、実は金融資本というアブク銭で稼いだボロ儲けのことに過ぎないのでは。 なんだかこの言葉にダマされて、金にさえなれば何でもOK!ホリエモンな時代を、無理やりに生かされてきたような気がするな。もうこんな無意味な言葉は、ユニ黒の強欲社長(個人では日本一儲けたヒト)にでもマカしておこうぜ。
二十年もたつと、あのバブル崩壊では阿鼻叫喚となった団塊世代も、今やみーんな還暦過ぎちゃって、年金もらって地味にシーンと沈んでいる。 バブルに憧れ続けたまま、互いに競争ばかりしてきた新人類世代(1960〜’68年生まれ)も、失われた二十年目は意気地が無くなって、居酒屋かツイッターで仲間とグチるだけ。 団塊ジュニア世代は、時代の先がもう何も見えないと嘆いている。 しかし、そろそろ《経済成長》というイカサマな呪縛からは、とりあえず離れて自分で考えてみなくちゃね。 私利私欲だけの政治家に「経済」を期待するなんて、自ら進んで振り込めサギにあうようなもんだしね。 バブル崩壊後に生まれて成人した次の世代は、《経済成長》などというバカげた妄想は持っていないはずだから、その点は心配ないけれど、だからといって、自室でモバゲーだとかアニメに金を使うだけじゃ自滅しちゃうだろうしな。・・・やれやれ(流行のムラカミ式段落)。
閑話休題」と書いて[あだしごとはさておき]、とルビをふったのは久保田万太郎でしたが、このブログはいつまでたっても、あだしごと(無駄話)のままですよ。ゴメンなさい。 では今日もまた、黙して煎茶でも喫することにしますか。竹籠の椿を眺めていると、春はすぐそこまで来ているのがよくわかる。