時間と時計

osamuharada2008-11-20

十代の頃から遅刻常習者だった。今でも夜ふかしの朝寝坊だけれど、高校時代は、三回遅刻すると一日欠席となる厳しいオキテがあったので大変だった。家から学校までは、地下鉄で二駅なのに遅刻ばかりする。出席日数がたりなくなる危険水域まで落ちると、なけなしの小遣いでタクシーに乗っては間に合わせていた。美大時代は、友達に代返を頼んでおいたから安心して遅刻した。こういう遅刻常習者が成人して、サラリーマンとして定職につくことはありえない。という自覚があって、ぼくは最初から自由業、すなわち就職せざる人の側に並んでしまった。これがセッパつまってフリーのイラスト稼業を始めた原因です。時間に縛られることが苦痛だった人間の末路。
いかに時間厳守に向いてなくとも、時計がないと社会生活はやってゆけない。仕方なく時計を持ってるぼくのようなのもいるけれど、男のなかには時計にコルのも多い。クルマと同じで、ブランド腕時計や外車などに男のお洒落などといって金をかけるのもいる。いい物を持っていれば、持ち主の自分までもカッコよく見えるはずだと錯覚するせいだろう。クルマは移動のために走ればよい、時計は時間さえわかればよい、というだけでは満足できないらしい。ヤツガレの場合は、もとより時間の拘束が嫌い運転も嫌いなので、さいわい腕時計やクルマに憂き身をやつすことは無かった。
腕時計というのは、腕を圧迫するから鬱陶しい。夏などベルトの裏に汗が溜まって不潔きわまりない。腕時計だけでなく、男のクセに指輪だのネックレスなんかしてるヤツなど気が知れない。三十代の頃、腕時計をいつものように外してポケットに入れていたら、安西水丸先輩が手巻きの懐中時計にしたらいいよと見せてくれた。爾来、ぼくのほうは巻かずにすむ電池式(安物)で、高価な手巻きよりサイズが小さい懐中時計を使っています。むかし外してポケットに入れてた腕時計は何個も紛失したけれど、懐中時計は鎖をズボンのベルト通しに付けるから外出中に無くならない。ついでながら、家にいるときは目覚まし時計を身近に置いておきます。離れたとこの壁時計は、いちいち乱視の眼鏡をかけねば見えずメンドクサイのです。で、これが現在愛用?のセイコーの懐中時計(25年使用)と、ビックカメラにて千円で買った折りたたみ式目覚まし時計(14年使用)です。またどうでもいい話でしたね。