宮田重雄の絵皿

osamuharada2008-01-05

買ったばかりの写真集「輝ける文士たち」文芸春秋刊に、獅子文六と一緒に宮田重雄が載っているのを見て喜んでいたら、宮田重雄のお孫さんである、宮田佳子さんからお正月メールが届いた。これも、この頃ひんぱんに起こるシンクロニシティーかなと思った。 現在、佳子ちゃんは英国のシュルーズベリーに住んでおられて、偶然その建物は宮田重雄生誕と同じ年の1900年に造られたそうだから不思議だ。
拙著「ぼくの美術帖」にも書いたとおり、ぼくは宮田重雄の挿絵の大ファンである。この写真の絵皿は、宮田重雄が絵付けをした京焼です。フランス滞在が長かった宮田重雄ならではの、粋なことば書き。「雄鶏がぼくらの恋の終わる時を告げる」と、コレは日本でいう「後朝(きぬぎぬ)の別れ」ですな。男女が一夜をともにした翌朝の別れのこと。洒落に夜明けの雄鶏だけを描いて、明るいユーモアが宮田重雄の魅力なのです。この明るさが獅子文六との名コンビを生んだのですね。 ついでながら皿の下は、拙著の中の宮田重雄描く「自由学校」(獅子文六原作)の挿絵です。先年亡くなった娘の宮田洋子さんがこの絵のモデルをされたとは、洋子さんご自身から伺った。 我が憧れの年上美人だった洋子さんの、今年は七回忌に、遺稿の句集を佳子ちゃんが編まれる由。待ち遠しいな。
むかし宮田重雄の旧アトリエを尋ねた折に、亡き父上のお話を洋子さんからいろいろ聞いたことがあります。その時にふと気付いたのが、ヘビースモーカーの洋子さんのさり気なく使う灰皿が一目で河井寛次郎作と判ったことです。灰皿は長年使い込み過ぎたのか、角は欠け落ち、ヤニも深く染み込んでいる。しかし風情があって灰皿としては凄くカッコイイ。それについて聞くと、洋子さんは、モノはどんどん使い込まなければ良くならないんだよ、と父がよーく言っていたのよ、と話してくれました。ぼくは前から寛次郎が嫌いだったのだが、その使い込んだ灰皿の角の釉薬が欠けたところ、陶土の地が現われた部分を見て、初めて寛次郎を美しいなと感じ入っていたところだったので、その明解な言葉がなんだかとても嬉しかったのを憶えている。 なお、お孫さんの宮田佳子さんは、前衛的舞踊団のKARAS(勅使川原三郎さん主宰)の主要メンバーとして活躍中です。