芸術新潮12月号のコラムは題して「北園克衛とミステリー」。文庫版エラリイ・クイーンのカバーデザインのシリーズを取り上げ、ミステリーと北園克衛による表紙デザインの関係についてを具体的に書きました。 むかし「ぼくの美術帖」でも紹介したのですが、北園克衛七十三歳から最期の七五歳までの2年間に手がけたデザイン17冊についてです。当時ぼくはその文庫本シリーズを、表紙部分だけを切り取って保存する分と、カバーそのまま手にして読む分とで各2冊ずつ買っていたのでした。そのまま読んだ本はボロボロになってどっかへ行っちゃって、切り取った綺麗な表紙だけが残っている。 今回の芸新の図版にその中から4点を選んだのですが、1冊だけは実際に文庫本にカバーをしてある立体的な写真図版にしようと思い、現在も再販されている本をいくつか買ってみたところ、刷り色がかなり変わっているのに気がついた。芸新の三好さんも、ぼくの弟子もカバーのまま古いのを持ってますと言うので借りてみたけれど、やはりすべて後刷りで、ぼくの三十年ほど前の初版の表紙とは色が違っていた。仕方なく芸新では、ぼくのほうの表紙を本のカバーに合成して作った図版を載せたわけ。どうでもいいよな内輪の苦労話でしたが、後でよく考えたら腹が立ってきた。デザイナー本人の立場で考えれば、これしかないと決めた色彩が、勝手に別の色でいい加減に刷られていたなら、コレはかなり不快なもんだからです。まして北園克衛の色彩感覚までも大好きな、ぼくのようなオールド・ファンにとっては、コレは許しがたきことなんでありますよ。解かる?この気持って。 上の写真「緋文字」のカバーの青の部分が、紫色に変っている左の本が後刷りのほう。オリジナルは昔のフランス煙草パッケージのゴロワーズ・ブルーとかサックス・ブルーに近い青なのです。それを薄紫色に変えちゃァお汁粉みたいだろうが。 残念ながら、もしこの新版を買われた方は、青色に頭の中で変換しといて下さいね。 北園克衛遺稿による最後の詩集「BLUE」も、頭の中であのブルーだったと思いたい。
BLUE
いま
去って行く秋の
ブルーの風
の
なかに
いて
ジャコメッティの
青銅の彫像
の
ように
孤独
の
憂愁
の
直線
の
ブルーの長い影
を曳き
白とブルー
の
縞
にみちた
海
のブルー
を
見ている人の
細い背中
も
ブルーである