長崎の南蛮趣味

osamuharada2006-07-20

『ぼくの美術帖』に書いた鈴木信太郎は、特に長崎の景物を好んで描いていて、おくんちのオランダ万歳や、大浦天主堂オランダ坂など、南蛮趣味ともいえるモティーフを得意にしていました。『阿蘭陀まんざい』(昭和29年東峰書房)という挿絵入りのエッセイ集もあります。正確にいうと桃山時代ポルトガルやスペインとの交易から流行ったものが南蛮趣味ですが、鎖国の江戸時代になるとオランダを通して流入した広く西洋の文物も南蛮趣味と呼ばれました。
鈴木信太郎の油彩画で、長崎丸山の料亭「花月」(寛永年間、1642年創業)の「瓦の間」という室内を描いた作品があって、その絵を好きになるやたちまちぼくは南蛮趣味にも興味を持ち、現存するというその部屋をどうしても見たくなって長崎へ旅をしたことがあります。もう20年くらい前かな。そこは中国と西洋と日本を混ぜこぜにしたようなインテリアで、床は洋風のタイル張り(タイルという言葉が無くての瓦の間です)で洋風ランプが下がり、ガラス窓の枠やテーブル、竹の椅子などが中国風、彩色絵のある天井は日本の書院造り風といった具合。そこで出される料理が長崎名物、和洋中の合体した卓袱(しっぽく)料理というわけです。そこは鈴木信太郎的エキゾチシズムの世界でもあり、もちろんこの一晩ですっかりぼくは南蛮趣味にカブれました。
南蛮絵の大皿や、瑠璃色の長崎ビードロ(吹きガラス)徳利やグラス、なかには取っ手がついたビードロの「ちろり」など、いろいろ買って帰ってみると、どれもすべてが明るい南国の信太郎好みという感じがするのには驚きました。おくんちの西洋帆船形の山車や、キリシタンというほうが感じのする大浦天主堂、蘇鉄の植え込み。カステラ福砂屋ビードロや薩摩切子などのガラスコレクションなど、江戸時代の人々が愛した南蛮風物がまだわずかに長崎には残っていました。長崎から湯布院へ移動する前の晩に、昭和5年創業という古いままの西洋風建物のレストラン「銀嶺」で日本の洋食を食べ、そこのお土産に買った南蛮絵風レストランの灰皿が上の写真です。今も大事に愛用している灰皿です。史跡料亭花月「瓦の間」はまだあるのに、レストラン「銀嶺」のほうは改築してしまったらしい。