雀の小籐太絵巻

osamuharada2005-04-09

名古屋の帰りがけに、愛知県美術館へ行きました。万博の(多分余った)予算で借りることができたのでしょう、強烈な国宝・重文クラスが勢ぞろい。会期中は70点以上入れ替えで出るらしい。しかし土曜日というのに閑散として、というか万博会場へ人は行ってしまって、余計誰も見に来ないので、ぼくにはラッキー!なのでした。そこだけいいね、愛・地球博。そのお陰でユックリと堪能できました。俵屋宗達伊藤若沖富岡鉄斎岸田劉生と好きな画家が目白押しの最高の展覧会でした。そんな凄い絵に混じって、サントリー美術館(現在休館中)から借りた、小さい絵巻物(幅がせいぜい20㎝くらい)の「雀の小籐太」(作者不詳)も素晴らしかった。小籐太という雀が主人公。ある日、自分の子供が蛇に食べられて、悲しんでいるところへ、全部で13種類の鳥がかわるがわるやって来ては、鳥の種類による掛け言葉などの、それぞれがウイットに富んだ弔問歌を読んでくれます。それに雀の小籐太が返歌をかえすというだけの単純ストーリー。白鷺やカラス、雉に鶴、ヒヨドリなどが次から次ぎへと、木にとまっている小籐太に話しかけてあげる。その顔や姿の表情の生き生きとした愛らしさにまず打たれます。絵は決してウマくはありませんが、実に素直でおおらかで客観的な表現です。現代のヘタウマ(ヘタを主観的にしたもの)とはまったく違います。自然のままの、なんのてらいも無い描きっぷりが、鳥達の純真無垢なたたずまいを感じさせています。そして全体の色彩のセンスと配分は見事なのです。大人のセンスです。こういう絵巻に出っくわすと、胸が熱くなって絵を見ていることを忘れて、物語の中に入っていってしまうのです。これが上巻で、下巻になると、小籐太もいよいよ人生に無常観を抱いたのでしょうか、墨染めの衣を着て、すげ笠を背負い、出家して一人諸国行脚の旅に出ます。いい話ですよね。最後は京都にたどりついて、粗末な庵をつくって隠棲するところで絵巻は終わりを告げます。それが雀の小籐太の物語。切ないけれど、また何という可愛らしさでしょう。これが室町時代、今から400年以上前の、昔の日本人のメンタリティーなんですね。万博で何時間も並んで、トランペットを吹くだけのロボットを見物しに押しかける、現代の日本人よ、大丈夫か?