鈴木信太郎

osamuharada2005-02-18

洋画家で戦後は挿絵でも人気があった、鈴木信太郎の色紙を手に入れました。中国の萬歴赤絵、明時代の五彩(日本では単に赤絵ともいいます)「魚藻唐草文鉢」銘のたっぷりした鉢がひとつ描いてあります。魚が可愛いですね。ほんとは赤の描線であるはずが、絵ではすこし茶がかったコンテの線で、渋味と古拙な感じを表しています。色彩はのびやかな形体と相俟って、信太郎独自のオプティミスチックな気分が実に良く出ていると思いました。
ぼくは小学生の豆画家時代からの鈴木信太郎ファンで、挿絵では鈴木の「す」と書くひと文字のサインを真似て、自分の絵には「お」と入れていたほどでした。長じて職業がイラストレーターになってからでも、あの絵の明るさに影響され続けていました。また1970年頃に東横線学芸大学に住んでいたことがあって、駅近くのマッターホンというお菓子屋さんは、ご主人がコレクターで、店内には鈴木信太郎の油絵や版画がいつも数点掛っていたため、そこのティールームへ日参していたことがありました。毎日見ても飽きないどころか、見ない日はなんだか落ち着かないんですね。コースターにマッチ、お菓子の包装紙、缶、紙袋など、すべて信太郎描く人形や花の絵を使ってありましたから、イラストの勉強にもなったのです。それから30代半ばに美術エッセイの本を書くにあたって、信太郎画伯のご許可をいただいてから書いたので、恐るおそる、つたない自著を送ったら、お喜ばれたとのお礼状をいただき、それから毎年「賀正 鈴木信太郎」と大書した年賀状までくださいました。その年賀状も7枚になった頃、1989年にお亡くなりになりました。93歳でした。生きる歓びに溢れた絵画を一筋に貫き通しました。ぼくの老人趣味にも、まだまだ信太郎絵画は新鮮な影響を与えてくれそうです。