ぼくの東京物語

osamuharada2011-04-09

目を覆いたくなる「天災」の傷跡と復旧作業。まだまだ「人災」という危機的状況から一歩も脱していない現在。明日は、この非常事態さなかの東京都知事選。利権争いに過ぎないものを、何をかいわんや。他に書くことも思いつかないので、以下はぼくのつまらない「東京物語」です。
うちの家系図や墓碑銘を見ると、原田の先祖は、鎌倉時代から、今の東京都大田区内に居住し、江戸末期まで代々名主をしていたことがわかる。ぼくで33代目。明治になって、江戸時代からの身分制度が瓦解し、祖父がアメリカ遊学などして蕩尽しつくしたため、昭和の父の代には、墓所以外の何も残らなかった。しかし、ぼくの代で800年間も東京に住んでいたことになる。さかのぼれば、東京と呼ばれる前の江戸、またその前の武蔵の国。これがぼくの故郷です。
ヒイジイサンは明治維新を体験し、ジイサンは明治大正昭和を生きた。関東大震災直後に生まれたぼくのオヤジは、太平洋戦争を経て、戦後の混乱期を何とか生き抜いてきた。そして敗戦後の東京大空襲の焦土がまだ残る東京で、ぼくは生まれて育った。
「もはや戦後ではない」から「所得倍増計画」と総理大臣がいった’60年代に青春時代をむかえて、未来は輝かしくぼくの目の前にあった。何も持たないけれど、何にも縛られることなく、「自由」を謳歌できる時代が到来したのだと、ただ楽観的に思った。それが幻想だったと気がつくのは、美大を卒業し、いったん外国に出て、外から日本を客観視した時だった。日本にあるものは、精神の自由ではなく、自由経済主義だけが驀進しているように感じられた。
‘70年代には、革命などと絵空事を口にしていた同世代の学生運動家たちも、ほとんどが企業に吸収され、一国のためではなく、一企業の戦士となって、高度経済成長という妄想と戦った。当時の経済戦争に敗れた若者は、終末感や、退廃的なアンダーグラウンドの文化に逃避して、後の世代のサブカルチャーの礎になった。ぼくはアルバイトのつもりで始めたイラストの仕事がヒットして、気がついたら当世流行のイラストレーターと呼ばれるようになっていた。いつしか職人気質に目覚めたせいか、仕事は仕事として割り切って楽しむことはできたが、40年間これが食べてゆくための稼業となった。かくして、今年ぼくも「65歳以上の高齢者」の仲間入りをする。
もしも、わが町・東京に、「死の灰」が降り注ぐような事態になったら、ぼくは、ぼくの子や孫に東京を捨てさせるつもりだ。 800年も代々同じ所にばかり住んでいたんだから、先祖だって、もういい加減あきらめてくれることだろう。その時が来たら、ぼくの「東京物語」は、ぼくの代で終わりにしよう。