子供らしい子供たち

osamuharada2007-12-03

春と秋の二期に渡って、NHKハイヴィジョンでライブ放送された「関口知宏の中国鉄道大紀行」が面白かった。経済特区となった大都会ではかなり人心荒廃としていたが、昔のままの地方や少数民族の村などで暮す人々が皆な素晴らしかった。前触れなしで行き当たりバッタリの旅なのに、どこの貧困層でも暖かく和やかに、突然やってきた関口君を迎え入れてくれ、どこまでも明るく屈託というものがない。老人も子供も、富岡鉄斎描く文人画の登場人物のように、誰もが朴訥として純粋だった。 さらに驚いたことは、広大な中国は多民族国家なのだが、どこへ行っても、どの民族の顔を見ても、全く同じ民族顔がこの日本にすべて存在していることだった。漢民族はもちろん、東南アジア、モンゴル、さらに西へゆけばペルシャ、アラブ、ユダヤの民族顔。 つまり極東の日本列島には、古代からアジアのあらゆる民族が渡ってきて共生共存してきたことの証しなんですね。どの顔も最初っから知ってるような顔ばかりで、日本の誰かにそっくりさん続出なのが可笑しかった。日本は小さな国なのに、実は多民族国家なのですよ。
なかでも最高に可愛かったのが、中国の子供たちのどこまでも健康的な表情や仕草だった。そしてどの子供も素朴で懐かしい感じがする。 しかしふと気がつくと、顔は似ていても現代の我が日本の子供たちからは、今や失われた表情なんじゃないかなと思ったら、なんだか急に切なくなってきた。顔のつくりは同じでも、表情がぜんぜん違う。住環境も食べる物も着てる物でも、遙かに中国の地方で生活する子供よりは豊かで恵まれているはずの日本で、子供たちから消えつつあるのは、あの純真で健康的な笑顔なんだなァ。とつい考えさせられてしまう。キッズ携帯なんかを持たせられる可哀相な日本の子供たちよ。
上の写真、人形はアメリカの子供マンガの主人公「ナンシー&スラッゴ」です。前に(id:osamuharada:20060407)書きました。60年代に初めて近代的自我を持った子供たちが登場するマンガ「ピーナッツ」に人気が出る前までの、戦後から50年代にかけての人気キャラクターでした。これは実にピュアな子供らしいマンガなのでした。ナンシーには両親が無くファッションモデルの叔母さんとの二人暮し。相棒のスラッゴ君にいたっては、みなしごの上に赤貧洗うが如き一人暮らし、ボロ服を着てボロ家に住んでいます。そんなシチュエーションなのに、子供たちは実に楽しそうで朗らかに、マンガのなかで息づいているのです。元気のカタマリここにありといった子供マンガ。しかしやがては、この顔もまた現代アメリカ社会からは消えてしまったような気がするのでした。今やあっちの子供は携帯はおろか、銃まで持って武装してるんだもんね。何をか云わんや。