ウェスタン

osamuharada2005-09-22

昔むかし、ものごころついて、最初にジョン・フォード監督『駅馬車』を観て以来、15歳位まで、熱病のように西部劇にハマっていた時期があります。ぼくの場合は、今でも自分なりの好きな洋画ベストテンのなかに、ハワード・ホークス監督『リオ・ブラボー』だけは入っています。大作からB級ウェスタン(特にオーディー・マーフィー主演モノ)にいたるまで何でも観ていたので、中学生ではいっぱしの西部劇通でした。その中学時代1959年から’61年にかけては、アメリカの西部劇テレビ映画ブームも始まりました。各々1、2年のサイクルの番組が、その3年間の間に、西部劇だけで毎週22本もありました。
初めは一応すべてチェックしていたので夜になると忙しいのなんの。その他にテレビではアメリカン・ホームドラマの数々、青春モノ、私立探偵モノのシリーズなどもおびただしい数が入ってきた時期で、それらのほとんどを浴びるように観ていました。登場人物の役名、俳優名はすべてまる暗記していました。後年、同世代のやはりアメリカ連続テレビ番組マニアだった人と話しても、オタク度ではまだ誰にも引けをとっていません。例えば、全然ヒットしなかった私立探偵モノで、かのジョン・カサベテスが主演の『探偵ジョニー・スタッカート』を好きで観ていた人というのは、かなりマニアックなのでした。だれも知りません。(カサベテスは後年アメリカ版ヌーベルヴァーグ監督として映画マニア間ではつとに有名なのですが)。
テレビ西部劇では、’59年にスティーブ・マックィーン出世作の『拳銃無宿』と、クリント・イーストウッドの『ローハイド』がスタートして夢中になりました。’60年に日本だけで最大ヒット『ララミー牧場』はもの凄い人気でしたが、ぼくは生意気のあまり、あんなものはオンナ子供の見るものとバカにして、その年に始まったのでは『反逆児ジョニー・ユーマ』を褒める通好みになっていました。なにしろ主人公はどこへ行っても嫌われる南軍敗残兵で、そのつらい放浪の旅というストーリーが気に入るような渋好みになっていました。学校では友達と前の晩に観た西部劇のガンシーンの再現に凝りました。アメ横で買ったモデルガンを学校鞄に忍ばせて通学。家では早撃ちの訓練をかかさず、すっかりガンマンのつもりの中学生でした。楽しかりし昔よ。
テレビと映画のウェスタン・ブームは、60年代初頭でほぼ終わり、ぼく自身もそろそろ高校生になってガールフレンドなどができはじめると、気取りが入ってきたのでしょう、西部劇が妙に子供じみたように思え、マイブームも終焉しました。ガンマンとして好敵手だった親友も、いきなりゴダールの『勝手にしやがれ』などを観て、ジャン・ポール・ベルモンドに変身したりしました(モデルガンもリヴォルバーからオートマティックに持ち替えて)。西部劇はイーストウッドマカロニウェスタン『荒野の用心棒』(アメリカはスパゲティウェスタンと呼ぶ)で再燃するまで、少年時代の箪笥の引き出しの中に放り込まれたたままでした。
大人になってのぼくのウェスタン好きは、今度はカントリーミュージックという音楽のほうでカムバックしました。40年代のカントリースウィング(これはカントリーにスウィングジャズが合体したもの)から70年代ナッシュビルサウンドまで聴きまくり、再びウェスタン・マニアです(ガンマンには戻りません)。また、カウボーイ・スタイルのヴィジュアル(デザイン文字やイラスト)も好きで、これは仕事でオサムグッズにも応用(オサムグッズスタイル192,193ページもそうです)できました。
上の写真は、ロンドンの生地屋さん、キャス・キッドソン製のクッションで、ぼくのウェスタン好きを知る友達からのプレゼントです。懐かしい50年代風カウボーイの絵柄が嬉しいな。