バーナード・ショーの執筆小屋

osamuharada2007-01-20

今年に入って間もないのに、なんだか物情騒然としたこの頃ですね。去年から日本美術史上まだよく究明されていなかった戦争画(第二次大戦時)についてあれこれ調べていたら、正月早々に防衛庁が昇格して防衛省となり、今年中には改憲なるかといった感じで、現代と戦前の開戦前夜とがオーバーラップして見えてきた。この防衛省って、英語ではMinistry of Defenseと表記するそうで、アメリカの国防省と全く同じ字句ですよ。いっそペンタゴンと改名すれば判りやすいのにな。
そんなつまらないことを考えながら、煎茶を啜りつつ古雑誌を捲っていると、アイルランド出身の戯曲家バーナード・ショーのページがあって、眺めていたらホッとした気分にすぐ変わることができました。イギリスではシェークスピアについで上演回数が多いといわれる大劇作家ですが、英国南部の田舎(当時の村人たった100人ほど)のアヨット・セントロレンスに、こじんまりとしているけれど快適な家に住み、94歳までの生涯を送りました。広大な庭のはずれに執筆用の粗末な小屋をつくり、母屋からそこ(上の写真)に通うのが日課でした。ぼくがこの小屋を素晴らしいなと思ったのは、屋根の上に鉄製の吊り具があって、小屋は手押しで回転できるようになってるところ。電気はないから、太陽の向きに合わせて角度を変えながら明かりを取り入れるのですね。自然に囲まれ、誰にも邪魔されず集中できる、理想的な小屋ではないですか。壁に固定してあるだけの棚のような簡素な板が仕事机です。速記法で原稿を書き、母屋の書斎で秘書がタイプしていたようで、まさしくこの小屋で、かの『ピグマリオン』、『人と超人』、『メトセラへ還れ』、『聖女ジョーン』などの傑作が次々と生まれたわけです。ショーの有名な警句に「幸福な生活を得る道は、幸福であるかどうかなどは考える時間もないほど、つねに好きな仕事に忙殺されていることだ」というのがあります。この西洋の文人もまた山紫水明を好み、時代と社会から離れて自己を確立したアウトサイダーでしたね。