地下鉄のザジ

osamuharada2005-04-15

作品集「オサムグッズ スタイル」の、5ページに載っている、ノートブックの絵柄は、フランス映画『地下鉄のザジ』('60)を、ぼくなりにキャラクタライズしたものです。80年代はじめの頃でしたか、オサムグッズのヌーベル・キャラクテール(新キャラ)としてフランス調のデザインで登場させました。しかしその頃は誰もこの映画を知らないか忘れていて、フランス趣味のカルトもまだ流行らず、ちょっと早すぎたのかもしれません。で、ぼくの作ったザジも、失われたまぼろしキャラクターになってしまいました。(そんなわけで今度の作品集にはあえて入れておきました)
そもそもぼくがこの映画をロードショーで観たのが大昔、高校生の時で、ルイ・マル監督はすでにヌーベル・ヴァーグの旗手として知られ、ぼくには『死刑台のエレベーター』('57)『恋人たち』('58)と続き、モダンでカッコイイの代名詞のような大好きな映画監督でした。それでもこの『地下鉄のザジ』だけは日本ではヒットせず、ある映画評論家などは今回は失敗作といってけなし、大衆からも映画通からも相手にされなかったので、この映画で生まれて初めて「可愛い」の洗礼を受けたような、ぼく(いっぱしの映画通のつもりだった)などは、たいそうくやしい思いをしたものです。ナンセンスとスラプスティック(どたばた喜劇)は当時の日本の映画ファンには受けが悪かっただけのことでしょう。世の中に、こんな可愛い映画は、それ以前も以後も絶無!と言いたかったよなあ、というような思い出の映画でした。
最近は一時絶版だったDVDが再びまた出たようです、良かった。ぼくは子供が主人公の映画はもともと嫌いでしたが、ザジの可愛らしさは、普通のコドモらしさが無いこと、それどころか大人なんてバカにした、コマッシャクレで生意気な女の子というキャラクターにあります。パリで伯父さんの質問に答えていわく「60歳になるまで学校へいくわ」それで?「先生になるんだ」、何故先生がいいんだい?「シゴいてやるの」(このときザジの嬉しそうな笑顔が最高!)「いつの時代にもシゴキがいのある子はいるから、怖い先生になって、黒板ふきを食べさせたり、コンパスで背中を突っついたり、冬はブーツでお尻を蹴っとばす」といったあんばい。全編を通じて大人をやり込める、かえってそこが可愛いいのでした。伯父さんちの家主の飼ってるオウムが、ザジの口癖“mon cul !”(クソ喰らえ!)を口真似するところもいい、ぼくのザジの絵では、そのオウム+モン・キュル!にも登場してもらいました。またこの映画で、当時十代のぼくは初めてParisに憧れを抱きました。撮影はアメリカの写真家ウィリアム・クラインです。ザジが夜のパリの雑踏を半分眠りながらふらつくシークエンスは、クラインらしい都会的タッチが良く出ている映像で、何度観てもウットリさせられる。パッサージュでの追いかけゴッコ、エッフェル塔での長いシークエンス、どこをとってもパリの魅力の映像ばかりです。「可愛い」と「Paris」が好きな方は、是非この映画をご覧ください。上の写真は、去年パリへ行った時、古本屋で手に入れた、映画シナリオ雑誌“CINEMA”の表紙のザジです。シネマのロゴを囲む吹き出しで「これがシネマさ!」とザジに言わせています。