ゆく年くる年

osamuharada2015-12-27

去年にくらべて今年、世の中は笑劇のごときアベ独裁政権のおかげで、さらに終末感が深まったような気がしています。去年はコレでしたが→[id:osamuharada:20141226]
特にひどくなったなと実感するのが、マスコミの大政翼賛ぶり。新聞が売れなくなったので、新聞社は減税してもらうかわりに、喜んでアホ政権の宣伝をしちゃう。読者である国民の増税にはお構いなし。反体制的な発言をしたら即クビ、というのが常套手段になっている。「ジャーナリスト」もカネ次第、サノケン並みの「広告屋」に成り下がるとは情けなや…。気分転換に、時代を超えて先人の言説に耳を傾けてみよう、と古本を読みあさっている年の瀬です。
1955年、詩人・北園克衛のエッセイ。今の状況と同じようだなと思われることが書かれていたので、驚愕いたしました。なんとこれが六十年前の記述なのです。《 現代の日本のジャーナリズムの欠点は、真の知性というものを欠いているところにある。これは新聞や雑誌は言うに及ばず、ラジオに於いて、またテレビに於いても同様である。これはいったいジャーナリストが悪いのか、それとも大衆が悪いのか、それを簡単に決めることはできないが、おそらく、両方に罪はあるのであろう。》とあり、あの頃はテレビ放送が始まったばかりの時代でしたが、すでに《 テレビも同様であって大衆が自らの権利にめざめ、主張をしない限り、この音と光の暴力は際限もなく続くものと覚悟するより他はないであろう。》と明言していました。はたして六十年前の悪い予感は的中している。かつて社会評論家・大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」は、1957年のこと。テレビ(新聞社が親会社)を受動的に視聴していると、自らの創造力や思考能力を失ってしまうことを危惧していました。今年からは、その言葉「一億」がクリティックではなく、むしろ政略のほうに反転して「一億総活躍」とあいなった。国民はもっと労働して納税をせよ! これがさらにゆき着く先は富国強兵となり、やがて「一億玉砕」が終着点でしょうか。北園克衛は、さらに《 NHKの愚劣さには、官僚と軍閥の凶暴な余韻が根強くのこっているのを感じないわけにはいかない。》とも書いていたのです。
さもあらばあれ、シネ漫画のある旨い自然派ワインを飲みつつ、過ぎゆくアホらしき時代をこれからも傍観していよう。個人的にはこのシネの絵に近い楽天的な一年を過ごすことができました。風刺漫画家 Siné→[id:osamuharada:20150701]