パレットクラブ

osamuharada2005-02-21

気の合ったイラストレーター、デザイナー仲間で、神社仏閣美術館巡りの旅をしていた70年代。そのうち仲間で、仕事以外の遊びゴコロで、何か作品展をやってみようじゃないかということになり、初めてのグループ展を開いたのが’79年のことでした。ついでにグループに名前をつけようかということで、故ペーター佐藤命名で「パレットクラブ」がスタート。初パレットクラブ展はテーマが「NUDE」で、絵や、陶器の皿に茶碗などをそれぞれが描きました。この湯呑茶碗はその搬入時にぼくが二人と交換でもらったもの。ほとんどが売れてしまったので、どんな展覧会だったかはもう忘れてしまいましたが、写真左はパレットクラブ長兄の安西水丸さん、右はぼくより一つ年上だったペーターの作品。ピカソ風ヌードの水丸茶碗、藍の上から鉄筆の細い線でヌードを彫って描いたペーター茶碗。両方とも大振りなので、ぼくの焙じ茶専用でいつも使って使い込んでしまいました。楽しい思い出とともに、いつまでも愛着つきないぼくの宝物です。その’79年後半にペーター佐藤はニューヨークへ仕事場を移したので、メンバー揃ってソーホーにあった広大なロフトのペーターズ・スタジオへ遊びに行ったことも懐かしい。当時最先端モードのペーターのロフトで、都はるみを聴きながらお茶漬けを食べたり、ヴィレッジのブリーカーストリート・シネマでOZUの“Tokyo Story ”(東京物語ですね)をペーターと二人で観て泣いたり、みんなでラリったり(とっくに時効ですよ)、全員がまだ30代だったあの時から26年もたったとは・・・、トシとるわけですね。
 ’83年からは京都のインターナショナル・アカデミーでイラストの教室が始まり、当時は雑誌「ポパイ」後に「ブルータス」、「オリーブ」などのADを歴任していた新谷雅弘さん、水丸さん、ペーター、ぼくの4人交代で講師をあいつとめました。毎月の京都通いは一人で、初日と、忘年会、終了式はいつも恒例4人組でした。今でも教室は続いて22年目になります。おかげで京都はぼくの第二の故郷になりました。
それから十年前にペーター佐藤は、ぼく達を置いて急逝してしまい、あまりのショックで意気消沈のパレットクラブでしたが、東京築地のぼくの実家を建て直して、パレットクラブ・スクールができました。講師メンバーも沢山の方々(とにかく凄いメンツなのですよ)のご協力を得て、今年9年目を迎えることができました。
ここでちょっとパレットクラブのコマーシャル。今年5月からの生徒さん只今募集中!!です。詳細はこちらのHPまで。
http://www.pale.tv
はてなダイアリーでは、パレットクラブ日誌やってます。(id:parekura)
湯呑茶碗の写真は、パレットクラブのホームバーで撮りました。